チコ・ブラーエ【1546〜1601】
科学史のヒーローたち
全10巻
著者:平見修二

揃定価(揃本体価格27,000円+税)

リブリオ出版

平成5年5月第1刷発行

 全10巻のシリーズの内、私が担当したのは第1巻の「チコ・ブラーエ」。最初はリアルタッチのイラストを考えていたのですが、平見修二さんが書かれた物語の面白さに触発され、主人公のチコをはじめ、ヨハネス・ケプラーなども皆漫画的なキャラクターにデフォルメして描きました。手法は和紙の貼り絵です。

    
 チコ・ブラーエ14歳の1560年8月21日午後3時、予告された時間通りに部分日食が始まったことに驚いて、天文学を志すようになる。→

  
←1572年11月11日、新星を発見したチコ・ブラーエ。このことにより、プトレマイオスの天文学の誤りに気付いたチコは、翌年「新星論」を発表する。

   

↑1576年2月11日夜明け近くに国王の使者がチコの家を訪れる。命令によりデンマークに帰国したチコに、国王は世界最高の天文台を作るよう命じ、それによってウラニボルグ天文台が建設された。

   
 20歳の時決闘で鼻をちょん切られ、その後の人生を顔の真ん中に金銀細工の鼻をくっつけて過ごしたというだけでも充分興味がわく人物チコ・ブラーエですが、勿論それだけの男ではありません。彼は1546年デンマークの大貴族の家に十人兄弟の二番目として生まれますが、子供が居なかった伯父のヨルゲンに3歳の時無理矢理奪われ、養子にされてしまいます。幸い経済的な環境には恵まれたチコは、この伯父の反対も蹴飛ばして自分の興味がわく方向へ突っ走り、天文学における新発見を次々に成し遂げます。遂にはデンマーク国王までも取り込んで、巨大な城のような観測所、ウラニボルグ天文台を完成させます。ここで膨大な量の観測データを手に入れたチコでしたが、いかに最先端、金に糸目を付けない巨大な観測機器とはいっても、所詮肉眼による観測だったのですから(オランダの眼鏡職人が望遠鏡を発明したのはチコの死後7年を経た1608年。ガリレオが自作の望遠鏡で天体観測したのはその翌年のことでした。)恒星を観測した際地球の公転によって生まれる視差など見付けることは不可能でした。ところがチコは、これが見付からないからといって「地球は動いていない」と発表してしまいます。結局チコの死後、弟子のケプラーがその残された膨大な観測データを分析し直して、有名な「ケプラーの法則」を発見してしまうのですから、皮肉なものです。でもたとえ滑ったり転んだりしたにしても、自分の信じた道を時に「やりすぎる」くらいにダイナミックに突き進んでいったチコ・ブラーエの人生は、読者をも思いきり元気にしてくれます。

ヨハネス・ケプラー【1571〜1630】


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